「東北画は可能か?」を鴻崎正武さんとスタートさせて2年。
「東北芸術工科大学とその周辺」という創立20年の経験と蓄積をもったアーカイブと教員という財産を、まずは借りずに、僕たちの目線と力量で出来ることが、この大学の多様性のひとつになるだろうと、僕らで外へと無我夢中で動いてきた。

2年間の巡業を終えて、そろそろ僕たちの大学に戻って、その知見をお借りして自己検証を始めようと、今回の大学での展覧会を決めた。
震災前までは辺境、土着のイメージであり、古き良き日本を投影され続け、311以降はその表現が震災、津波、原発といったフィルター越しにしか見られない苛立ちと共に。
東北ではいつまでたってもニュートラルな表現は可能ではないのか?
そういえば日本という辺境の地でもニュートラルな表現は可能ではないのか?ニュートラルということはレギュレーションの日々移り変わる、可変的な中心にしかなく、それ以外の地での、コンセプトでの表現はいつまでたっても亜流なのか。
多くのゲストをお迎えしての自己検証の日々は毎日ほんとうに刺激的なもので、まったくもっと早く開催しておけばよかったと思う。
そしてこの日々は僕の考える美大の理想の姿を少しだけれども実現させられている姿だった。
学生も保護者も市民も専門家も地域の人も首都圏の人も入り乱れ、表現について考える場がある。そこに制作の現場と発表の場が加われば最高。
唯一足りないのは美味しいお酒か。それならそれは学外に作ればいい。
「東北画は可能か?」の表現は、時代との関係によって可変的なレギュレーションに乗っ取って、あくまでも絵画として無視できない勝負に持ち込むのもひとつ、そして山形美術館の岡部さんからの提起により、地域の限定性と複数のメディウムの相互乗り入れによる、モンスターのような制作物にも持ち込めると感じた。
さらに岡部さんからの示唆として、その物語を地域の人たちにどのように物語ってもらうのかという問題があった。僕たちの物語素を様々な人たちに新たな物語として語ってもらうという可能性。
今後の動きとして、「12号サイズの東北画の増殖」「共同制作の発展」「パフォーマンス、イベントを含めた場作り」の三本柱に加えて、絵本作り、論述を含む出版、プラットフォームのような恒常的な場作り、を考えていた僕にとって、その提起はまさにイメージに言葉を与えられたという感覚があった。
そして学生みんなに聞いて欲しかったこと。それがメディアには事象に対する速度の違いがあり、その速度と自身の気質のフィット感、逆に言うとフィット感に合わせてメディアなんて自由に選択すればいいんだという岡部さんによる指摘。
写真の速度、言葉の速度、音楽の速度、絵画の速度。そしてアートなんて関係のないフィジカルな速度。
世界のどこにもニュートラルなんてないのよ。すべては相対化の世界だけども、どうせこの感覚は解ってもらえないなんてせまい世界に閉じこもらないでね。
まぁつまり「東北画は可能か?」ってセンテンスでは、本場ではない辺境の地でアートすること全般、そして本場と辺境、主流と亜流といった相対的な考え方の正当性や、それによる様々な問題点、利点をひっくるめていい当てたかったんだと思う。
中途半端に「普遍」だとか「アートシーン」だとか「自分探し」なんて言って足踏みしてるくらいなら、この場所から栄養ガンガン吸い取って制作して力強く進んでいく方が泥くさいけどよっぽど近道じゃね?ということ。
「東北画は可能か?」は今後、秋田、岩手での展示を予定しています。
まだまだ考えなくてはいけないことが山積みです。